年末ということもあり久しぶりに更新します。
僕の2012年は、2月まで就活(!)→ 教員採用試験 → 院試 → 論文執筆、と予想を遥かに上回る激動っぷりでしたが今、1年を振り返って感じるのが標題の考えです。
「結果ではなく過程が重要」ということはよく言われますが、このことは「結果」を出した後にのみ許される性質のものだと思うんです。
つまり究極的に、「プロセス」の重要性は「結果」が出てからじゃないと分からない。
僕自身TOEICにしろ、教員採用試験にしろ、結果に至る過程は様々なドラマに彩られていました。
しかし、こうやって余裕をもって振り返ることができるのも、プロセスの果ての「結果」が手元にあるからに他ならないからです。
逆に言えば、目標に向かうプロセスの途上は、「結果が全て」と自分に言い聞かせ邁進するしかない。
結果にこだわってこだわって、そしてそれを手中に収めたときやっと「『結果』が全てではない」と言えるのが理想だと思います。
勉強にしろ、仕事にしろ、目標到達までのプロセスでは、「結果」を出すことを何よりも優先する。
シンプルですが、その大切さを再認識させられた1年でした。
今年お世話になった全ての方々に心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました!
よいお年を!
僕の2012年は、2月まで就活(!)→ 教員採用試験 → 院試 → 論文執筆、と予想を遥かに上回る激動っぷりでしたが今、1年を振り返って感じるのが標題の考えです。
「結果ではなく過程が重要」ということはよく言われますが、このことは「結果」を出した後にのみ許される性質のものだと思うんです。
つまり究極的に、「プロセス」の重要性は「結果」が出てからじゃないと分からない。
僕自身TOEICにしろ、教員採用試験にしろ、結果に至る過程は様々なドラマに彩られていました。
しかし、こうやって余裕をもって振り返ることができるのも、プロセスの果ての「結果」が手元にあるからに他ならないからです。
逆に言えば、目標に向かうプロセスの途上は、「結果が全て」と自分に言い聞かせ邁進するしかない。
結果にこだわってこだわって、そしてそれを手中に収めたときやっと「『結果』が全てではない」と言えるのが理想だと思います。
勉強にしろ、仕事にしろ、目標到達までのプロセスでは、「結果」を出すことを何よりも優先する。
シンプルですが、その大切さを再認識させられた1年でした。
今年お世話になった全ての方々に心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました!
よいお年を!
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みなさんは高校生や中学生のときに受けた授業を、もしくは習った知識を覚えていますか?
正直僕はほとんど覚えていません。
教員採用試験では、国数英理社の5科目が課されますが、はるか以前に習ったであろう理科や社会にそこはかとないノスタルジーを感じながら勉強してました。
僕が言ってはなんですが、学校で生徒が習う知識や技能は、実際のところ、その殆どが10年もしない内に消えゆくものだと思います。
化学反応式や、古代王朝の名称を、30歳まで事細かに記憶している人がどれだけいるでしょうか。
英語にしてもそう。
英語を日常的に使う仕事や、趣味で学び続けない限り、英単語や英文法は覚えた先から忘れていく。
多くの人にとって、英語力の最盛期は大学受験期というのが現実でしょう。
知識は消えるー それならば、学校教育の場で、教員は生徒の未来に資するために何ができるのか。
採用試験に合格してから、うっすらとこんなことを考えていました。
今の僕の考えは、
『英語を通じ、何かに夢中になった、懸命に取り組んだ、という体験を一人ひとりの生徒に残すこと。』
です。
長期的な視野で考えたとき、知識として英語を「伝達」しただけでは、上述の通り彼らの財産として残るものは殆ど何もないでしょう。
英語によって、
異国の文学、芸術に深く触れることができた、
他者と感情や考えを通わせ合うことができた、
そして英語を一生懸命学ぶことで、自分の成長を実感できた。
そんな体験を1つひとつ積み重ねてやる。それが将来の彼らを生かすものになっていくのだと信じています。
教師として、instructor(教授者)ではなく、facilitator(促進者)であり、motivator(誘因者)であること。
English teachingではなくEnglish education
つまり究極的には、英語を教えるのではなく、英語による「人格の練磨」を目ざすこと。
それが、多様な生徒の将来に、本当の意味で資するために、大切ではないかと感じます。
正直僕はほとんど覚えていません。
教員採用試験では、国数英理社の5科目が課されますが、はるか以前に習ったであろう理科や社会にそこはかとないノスタルジーを感じながら勉強してました。
僕が言ってはなんですが、学校で生徒が習う知識や技能は、実際のところ、その殆どが10年もしない内に消えゆくものだと思います。
化学反応式や、古代王朝の名称を、30歳まで事細かに記憶している人がどれだけいるでしょうか。
英語にしてもそう。
英語を日常的に使う仕事や、趣味で学び続けない限り、英単語や英文法は覚えた先から忘れていく。
多くの人にとって、英語力の最盛期は大学受験期というのが現実でしょう。
知識は消えるー それならば、学校教育の場で、教員は生徒の未来に資するために何ができるのか。
採用試験に合格してから、うっすらとこんなことを考えていました。
今の僕の考えは、
『英語を通じ、何かに夢中になった、懸命に取り組んだ、という体験を一人ひとりの生徒に残すこと。』
です。
長期的な視野で考えたとき、知識として英語を「伝達」しただけでは、上述の通り彼らの財産として残るものは殆ど何もないでしょう。
英語によって、
異国の文学、芸術に深く触れることができた、
他者と感情や考えを通わせ合うことができた、
そして英語を一生懸命学ぶことで、自分の成長を実感できた。
そんな体験を1つひとつ積み重ねてやる。それが将来の彼らを生かすものになっていくのだと信じています。
教師として、instructor(教授者)ではなく、facilitator(促進者)であり、motivator(誘因者)であること。
English teachingではなくEnglish education
つまり究極的には、英語を教えるのではなく、英語による「人格の練磨」を目ざすこと。
それが、多様な生徒の将来に、本当の意味で資するために、大切ではないかと感じます。
「1万人に1人レベルの情熱だよ!」
2月、現職教員の方にそう言われた。
3年前、自分が行けなかった高等学校に、教師として戻ることを夢見て大学に入学したものの、ずっと決断できずにいた。
自分は本当に教師として生涯を全うできるのか?
他の職業に興味が持てないのは、自分が何も知らないからでは?
そんな悩みを抱いたまま迎えた大学3年生の12月、少しだけ就職活動をやってみた。
想像できなかった。
民間企業で働く自分が。
確かに一つの理念の下、組織で目標ー利潤を追究することは素晴らしいことだと素直に思った。
だけど、それは本当に自分がやりたいことなんだろうか?
自分が誇りに思えるものー自分のアイデンティティを生かしていく道はそこにあるのだろうか?
そのとき、立ち止まり、もう一度自分と向きあってみた。
自分が一点の曇りもなく心から言えること。
「英語が好き。」
そして
「英語で人に自信を与えたい。」
このときやっと、まわり道の末、二十歳の自分が抱いていた純粋な志に立ち返ることができた。
今まで学べなかった分、大学で誰よりも極めると決意した英語。
学科の授業に必死に取り組んでいたら、自分でも驚くほど多くの仲間ができた。
TOEICを通じ、社会人の方や現職の先生方とのかけがえのない出会いを得ることができた。
そして二次試験で心から実感した。
教員は一人では生きられない。
いくら英語の実力があってもーたとえTOEIC満点でも、国連英検特A級でもーそれだけではお山の大将にしかなれない。
他者を尊敬し、弱者を労れること、
他の人の幸せを喜び、悲しみに涙できること、
そんな心を持つことが何より大切だと、周りの受験者から教えられた。
僕が英語に注いできた0,01%の情熱。
それは僕が今まで出会い、関わり合ってきた全ての人々と、共に築きあげた「宝」です。
2012年教員採用試験合格!
かつて背を向けた高等学校に、僕は英語教師として戻ります。
今まで僕と関わってくれた全ての方々に心より御礼を申し上げます!
ありがとうございました!
2月、現職教員の方にそう言われた。
3年前、自分が行けなかった高等学校に、教師として戻ることを夢見て大学に入学したものの、ずっと決断できずにいた。
自分は本当に教師として生涯を全うできるのか?
他の職業に興味が持てないのは、自分が何も知らないからでは?
そんな悩みを抱いたまま迎えた大学3年生の12月、少しだけ就職活動をやってみた。
想像できなかった。
民間企業で働く自分が。
確かに一つの理念の下、組織で目標ー利潤を追究することは素晴らしいことだと素直に思った。
だけど、それは本当に自分がやりたいことなんだろうか?
自分が誇りに思えるものー自分のアイデンティティを生かしていく道はそこにあるのだろうか?
そのとき、立ち止まり、もう一度自分と向きあってみた。
自分が一点の曇りもなく心から言えること。
「英語が好き。」
そして
「英語で人に自信を与えたい。」
このときやっと、まわり道の末、二十歳の自分が抱いていた純粋な志に立ち返ることができた。
今まで学べなかった分、大学で誰よりも極めると決意した英語。
学科の授業に必死に取り組んでいたら、自分でも驚くほど多くの仲間ができた。
TOEICを通じ、社会人の方や現職の先生方とのかけがえのない出会いを得ることができた。
そして二次試験で心から実感した。
教員は一人では生きられない。
いくら英語の実力があってもーたとえTOEIC満点でも、国連英検特A級でもーそれだけではお山の大将にしかなれない。
他者を尊敬し、弱者を労れること、
他の人の幸せを喜び、悲しみに涙できること、
そんな心を持つことが何より大切だと、周りの受験者から教えられた。
僕が英語に注いできた0,01%の情熱。
それは僕が今まで出会い、関わり合ってきた全ての人々と、共に築きあげた「宝」です。
2012年教員採用試験合格!
かつて背を向けた高等学校に、僕は英語教師として戻ります。
今まで僕と関わってくれた全ての方々に心より御礼を申し上げます!
ありがとうございました!
最近生活の節々で歳を感じます。悲しいです。
昨日、某大学院の研究室を訪問しました。
そこで教授に「英語は好きか?」と聞かた際、何の思慮も躊躇もなく「はい!」と笑顔で答えていた自分がいました。
「英語が好き」
そう心から言えることが、今では僕の何よりのアイデンティティです。
この背景にあるのは、今日まで英語を続けてきた、という単純な事実だと思います。
11歳の時に英語に出会って10余年。
中数年のブランクがありましたが、これだけの期間1つのことを継続してきたということが支えとして生きいると感じます。
もちろん、短いスパンで見れば、英語の実力が停滞したり、モチベーションがあがらない時期もありました。
しかしそんな時も、外を歩いている時になんとなく英語の看板を見てみたりだとか、ニュースの英語音声に耳を傾けてみたりだとか、生活のどこかで少しずつ英語に触れ続けていました。
常に全力で走り続けてきたわけでは決してなく、時には路傍に腰を下ろすこともありました。
しかし、とりあえずは道から外れずにここまで歩き続けてきたわけです。
無理してモチベーションを上げたり、読みたくもない洋書を読む必要はない。
とりあえず、英語でも何でも、できることをだらだら続けてみる。
意味とか結果なんてものは、案外後からいくらでもついてくるものです。
小学生から20代半ばの今日まで、だらだらだらだら続けたことが、
"Do you like English?"
という無味乾燥な疑問文に、
真っ直ぐ、最大の情熱を乗せて、
"Yes, I do!"
と答えられる財産を与えてくれました。
昨日、某大学院の研究室を訪問しました。
そこで教授に「英語は好きか?」と聞かた際、何の思慮も躊躇もなく「はい!」と笑顔で答えていた自分がいました。
「英語が好き」
そう心から言えることが、今では僕の何よりのアイデンティティです。
この背景にあるのは、今日まで英語を続けてきた、という単純な事実だと思います。
11歳の時に英語に出会って10余年。
中数年のブランクがありましたが、これだけの期間1つのことを継続してきたということが支えとして生きいると感じます。
もちろん、短いスパンで見れば、英語の実力が停滞したり、モチベーションがあがらない時期もありました。
しかしそんな時も、外を歩いている時になんとなく英語の看板を見てみたりだとか、ニュースの英語音声に耳を傾けてみたりだとか、生活のどこかで少しずつ英語に触れ続けていました。
常に全力で走り続けてきたわけでは決してなく、時には路傍に腰を下ろすこともありました。
しかし、とりあえずは道から外れずにここまで歩き続けてきたわけです。
無理してモチベーションを上げたり、読みたくもない洋書を読む必要はない。
とりあえず、英語でも何でも、できることをだらだら続けてみる。
意味とか結果なんてものは、案外後からいくらでもついてくるものです。
小学生から20代半ばの今日まで、だらだらだらだら続けたことが、
"Do you like English?"
という無味乾燥な疑問文に、
真っ直ぐ、最大の情熱を乗せて、
"Yes, I do!"
と答えられる財産を与えてくれました。
お久しぶりです。
2つの自治体を受験した教員採用試験が終わったので、思うところを綴ります。
この教員採用試験を通じて、多くの方と知り合うことができました。
そこで僕が最も深く感じたこと、それは「誰もが自分の人生を懸命に生きている」という単純な事実でした。
2次試験で席が後ろだった受験者の方と、会場で話が弾み、一緒に勉強する仲になりました。
その方とk2さんとで昨日飲む機会がありました。
そこで聞いた彼女の話しから、普段の立ち振る舞いからは想像できないほどchallengingでdramaticな人生を歩み、その上で教員を志しているのだと感じさせれました。
「教員になるのが糧」
彼女が言った言葉です。
糧とは、
『二:生きてゆくための支えとなり、うるおいとなるもの。』(明鏡国語辞典, 大修館書店, 2002)
とあります。
教員になることが、人生の大地に慈雨をもたらす、ということ。
教員という生き方をここまで深く捉えている方と出会えたことに、心から幸せを感じました。
大学3年生の冬、どうしようもなく進路に悩んでいました。
そのとき、過去の自分を省み、今の自分を見つめた直したところ、
「過去」と「今」を繋ぐ一つの線の延長上にあったのが、教員という「未来」でした。
正直なところ、不登校や高校中退を経験していなければ、教員になろうとは夢にも思わなかったと考えます。
しかし、あの日々があったからこそ、英語に必死になって打ち込むことができた。
そして教員として、自分が行けなかった高等学校に戻ることで、
自分が経た辛く孤独な日々に、今一度けじめと意義を与え、未来へ繋ぐことができると考えました。
今でもその決心は間違ってなかったと思います。
それぞれの想いを抱き、お互いの持てる力を尽くした教員採用試験が終わりました。
と、同時にこれは新たな起点でもあります。
はっきり言って、5年後の自分がどこで何をしているのか想像がつきません。
しかし、いま、この新しい出発点で、確かに胸の内に感じる想い、「糧」だけは色褪せさせたくないと思います。
それを大切に抱き続ける「今」がある限り、「過去」に意味を与えることができ、その連続体としての「未来」を拓くことができると考えるからです。
2つの自治体を受験した教員採用試験が終わったので、思うところを綴ります。
この教員採用試験を通じて、多くの方と知り合うことができました。
そこで僕が最も深く感じたこと、それは「誰もが自分の人生を懸命に生きている」という単純な事実でした。
2次試験で席が後ろだった受験者の方と、会場で話が弾み、一緒に勉強する仲になりました。
その方とk2さんとで昨日飲む機会がありました。
そこで聞いた彼女の話しから、普段の立ち振る舞いからは想像できないほどchallengingでdramaticな人生を歩み、その上で教員を志しているのだと感じさせれました。
「教員になるのが糧」
彼女が言った言葉です。
糧とは、
『二:生きてゆくための支えとなり、うるおいとなるもの。』(明鏡国語辞典, 大修館書店, 2002)
とあります。
教員になることが、人生の大地に慈雨をもたらす、ということ。
教員という生き方をここまで深く捉えている方と出会えたことに、心から幸せを感じました。
大学3年生の冬、どうしようもなく進路に悩んでいました。
そのとき、過去の自分を省み、今の自分を見つめた直したところ、
「過去」と「今」を繋ぐ一つの線の延長上にあったのが、教員という「未来」でした。
正直なところ、不登校や高校中退を経験していなければ、教員になろうとは夢にも思わなかったと考えます。
しかし、あの日々があったからこそ、英語に必死になって打ち込むことができた。
そして教員として、自分が行けなかった高等学校に戻ることで、
自分が経た辛く孤独な日々に、今一度けじめと意義を与え、未来へ繋ぐことができると考えました。
今でもその決心は間違ってなかったと思います。
それぞれの想いを抱き、お互いの持てる力を尽くした教員採用試験が終わりました。
と、同時にこれは新たな起点でもあります。
はっきり言って、5年後の自分がどこで何をしているのか想像がつきません。
しかし、いま、この新しい出発点で、確かに胸の内に感じる想い、「糧」だけは色褪せさせたくないと思います。
それを大切に抱き続ける「今」がある限り、「過去」に意味を与えることができ、その連続体としての「未来」を拓くことができると考えるからです。